月: 2015年12月

空間について

友人に付き添って、占いの店に行った。
待合室にて約30分、人の出入りはちらほら。古びた丸椅子と、ショーウインドウ用の、わずかに虹色を放つスポットライト。
小さな本棚に並んだ書籍は、みな占星術やおまじないにまつわる内容だ。これまでに何人の客がそのページをめくってきたのだろう、傷みが激しい。独特の気配を醸し出すその場所に、長くいたいと思わなかったのは、それが地下に位置しているからかどうなのか。累々たる人々の念に、おされてしまったのかもしれない。

また別の日に、ネイルサロンを訪れた。
普段は馴染みのない場所だ。予約の電話の段階では、その店舗の内装がどんなものかは想像がつかず、わくわくしながら足を運んだ。ビルの一階の一室、費用をかけたスタイリッシュな店構えではないが、整然としている。こまごまとしたグッズが所せましと並べられ、職人の工房のようだ。爪のアートも、シンプルかつ繊細で品が良く、店の雰囲気に似つかわしいできあがりだった。

さらに別の日、いくつかの資格の手続きのため、街にある公的な機関を訪れた。
どっしりとした大きな建物と、遠くからもわかるような看板や案内のない、そして色彩のない、ものものしいようす。
その建設物のなかを自由に動き回るには特別なカードが必要で、出入口でそれを借りるための登録のようなことをしなくてはならないと決まっているらしい。電子キーを開けてなかに入ると、廊下の天井はものすごく低く、そして暗い。狭いその通路を通って、目的の部署を探す。歩きながら、これはどこかに似ていると思った。
船の中だ。
必要に応じて防火&防水扉が閉まり密閉できるようになっているその構造とよく似ている。まるで、要塞のようだ。 
外の開けた空が恋しくなる。

整理のつかぬまま近日訪れた場所について書き起こすと、空間についての考えが思い起こされた。

夕暮どき、朝焼け時間に、近所を散歩する。
その空が、遠い異国を思わせる圧倒的なグラデーションで迎えてくれる。
冷えた冬の空は、水で薄めたような明るいブルー。口あたりのよいソーダ色。地表近くのピンク色が混ざって、ほんの少し酸味を含んだラムネ色。
その端を霞ませて、ぽっかりぽっかりと浮かぶ雲、向こう側の光を透して、輝く。
刻一刻と、デザインと配色を変える夕刻の大空。
目をはなせない、瞬間の美しさ。
ほんのひとときの、贈り物。
貴重すぎる、深い味わい、堪能して。
やっぱり、屋外にはかなわない。

それでもヒト科の生物、人間の創造する心地のよい空間は、清々しく、ときに甘くなめらかな後味を残し、よき記憶として胸に、身体に、刻まれる。
まるで澄んだ暖かい水のなかを泳ぐような、潤いに満ちた空間を私は創りたい。
自然の力を、大地と海と空の力をふんだんに使って。そのエネルギーを、ありがたく借りて。

きれいな冬の浜辺へ

お正月の花を生ける花器をもとめて常滑へ。
思いつきの旅にはありがちな、予定変更の連続。
冬の醍醐味、きんと冷えた澄みわたる空気と清らかな空の青。
今度こそ、メモリーカードを入れたことを確かめて、替えのレンズを後部座席に放り込んで、出発。
師走の街、市内を抜けるのにすこしだけ手こずる。産業道路に出ると、開けた農場や、遠くの港に架かる鉄橋が旅感を強めてくれる。
やわらかい陽の光で温まった車内の空気を入れ替えようと数センチ、窓を開ける。
ー潮の香り。
海岸沿いに、長く長く続く堤防。
その向こうに広がる、水平線。
水面、きらきら。
be careful, not to crush
運転中。
オフシーズンは料金をとらない駐車場に車を停めて、ダウンを羽織って砂浜に降り立つ。
見渡すかぎり広がる濃い青の海原、大きなおもちゃがぽこんぽこんと置かれたみたいな、客船やタンカー。
傾きかけた冬の陽射し反射して、きっと冷たい海をラインストーンのように輝かせる。
浜辺でトレーニングに励む部活の少年たちが入りこまないように注意を払って、シャッターを切る。
灼熱の季節から一転、溌剌さを潜ませた背の高い椰子の木。その葉の届きそうな高い空。
凍える季節も変わらずに、太陽から光の粒が降り注ぐ。わけへだてなく、惜しみなく、ふんだんに。
めいっぱい浴びて、森に包まれそうな我が家へと、帰路につく。
冬至から数日後、日中と呼べる時間は限られて、花器は明日に先送り。
それでもたしかな達成感。今日の新しい光をつかまえた。

帰路、ここにも光が。

車検で車が手元にない本日、急遽電車の旅に出た。
当初の行き先は、名古屋から電車で1時間の二川駅からほどない距離にある「のんほいパーク」。
午後から晴れると言ったじゃないか、声に出さずにつぶやきたくなるような、もわんとした雲。
ときおり雲間から光が射して、窓際の席をやわらかく温めてくれる。
土曜のデイタイム、車内は浮かれた混雑。
名物の天むす5個入り弁当をぺろっとたいらげて、急激な眠気に襲われる。
外は延々と続く田園風景。だだっ広く、平らに。
乗った電車が豊橋駅止まりとわかり、行き先変更。
浜松へ。
ちょうどよかったかもしれない、南下するほどに雲は厚くなり、冷え込む。
それに、カメラにはメモリーカードを入れ忘れてる。
動物園でのロケハンは、春にでも。
まどろんで、乗り過ごしぎりぎり回避。
浜松駅は活気があって、様々な署名活動や呼び込みの声が響く。
ふと思いついて、駅ビルのなかの美容院に入った。
大人っぽく、と憧れて伸ばしていた前髪を切った。
ちょっとだけさっぱりして、ついでみたいに撮影欲を諦めた。
今日は使えないカメラの入った重いバックパック背負って、
地方都市の綺麗なイルミネーションのなかを、ゆっくりと歩く。
欲しいものは、とくにない。
帰りの電車、暑かった雲は散りじりに、向こうの空にはオレンジ色の夕焼け。
にぎやか煌めく街も好きだけど、夕刻の空や雲にはかなわない。
座った席は、ちょうど西側。
オレンジがかった黄金が車内を染める。
気分を持ち上げる、光。
明日へと向かう、太陽からの餞別。
出掛けるときのわくわくはいつだってたまらないけれど、
帰ってくるときの安らぎは大樹のような安心感。
広角レンズでキャッチする代わりに、生きてるこの目でしかと受け止める、まんまるな光の塊を。

陽が沈んだら、太陽のこどもたちみたいな小さな小さな光の粒が現在の街には溢れてる。

まるで海岸沿いの夕刻のように、人々は自由に振る舞い、こどもみたいな笑顔で光を見つめてる。

疲れ顔の人も、なんだかほっとしたような力の抜けた顔で、光を受けてる。

おしゃれな人も、カジュアルな人も、性別も国籍も、いろいろ。

みんな、ぴかぴか光ってるみたいだ。

 

こどもたちの海賊船のように

数か月ぶりに、何人かの友人たちに連絡をとった。
多忙な日々を理由に、お茶の誘いを断り、恒例だった旅行を中止し、みんなの近況もSNSではほんとうにはわからなかった。
夕刻の出張帰り、道に迷いながら電話をかけた。
コール音の鳴るなか、それぞれの顔や声がすぐそこに掴みとれそうな距離で蘇る。
数時間後のコールバック。
LINEでのやりとりがまどろっこしく、たいていはどちらが電話をかけて声を聴くことになる。
疎遠にしてしまっていたにもかかわらず、数か月の隔たりなどなかったかのように、人懐こい笑顔の声。
会って別れたときと寸分違わぬトーン。
さっき抱き合って離れたばかりかのような錯覚。
何年会えなくたって、変わらない打ち明け話、ちょっとした悩み相談。
声ってなんだろう、体温さえ感じる。
そこにいることを、確信する、身体で。
仲間や家族がいるということにどれだけ支えられているのだろう。
みなそれぞれなにかを抱え、日々を闘い、命を燃やしてる。
ありがたいという言葉も、運がいいしそういってるとさらにツイてくるという言い回しも、あたりまえになってきて、慣れ過ぎて、そのよさを味わうという丁寧さやあたたかさを、少しだけ置いてけぼりにしてしまっていたらしい。
よきものを感じて大切にして、愛されて、優しくなって、気づけばそれが反射されて、同じものがかえってきて、循環して、たしかなメビウスの環がそこにはある。
それ自体がハッピーなことなんだってちょっとだけわかった気がした。
バラエティに富んだ、とがった個性のみんな。
不器用ででこぼこしていて、一生懸命な仲間たち。
出会えたこと、知り合っていけること、本気でぶつかれること、仲直りできること、結局は大切に思ってるってこと、ぜんぶ込みでいつだって包まれてる。
そんな素敵なこと、ときどき忘れかけてしまうけれど。

言葉も出ないような、荘厳な夕焼けがそこにあって、
南風が細い髪をふわっと撫でて、
広がる大海原を目の前に、
これまでの航跡を讃え合う、
明日の計画に心を躍らせる、
そして、今晩の食事について話し合う、
水面はきらきらと、隣国へとバトンを渡す太陽を映して、
未来を見据える眼差しの横顔をやわらかなピンク色に染める、
どこからともなく、弦楽器と吹奏楽器の音色が響いてきて、
素人にしては上手だと笑って、
そのリズムに合わせて足取りも軽やかに、
宝物でいっぱいの我が家に向かう、

錨は強く深く、

海賊船は自由に航行する。

彩ゆたかなトルティーヤ、
もうこんなにも包むものがたくさんあって、
ひとつひとつ美味しくて、
集まったらもっと美味しくて、
歩き回って直観と勘を頼りにお気に入りを集めたら、
きっとみんなも好きな味。

もうほんとうは叶ってる

そんなわたしをみんなが知ってて、知っててそこにいてくれる
ひっくるめてまるごと、HAPPYに向かってる
それはすでに、幸福のかたちをしてる。

ここからはいつ果ててもかわいそうなんかじゃない。
あとは目に見える現実がそれについてくるのを見たいから、
それがただおもしろいから、
楽しんで、
想像して、
創造するわたしとみんなのパラダイス。
窓の外が白んできて、新しい陽の光が照らす心地いい部屋。
そこから一歩、幸運の左足で外界に出でる。
今日も、楽園を創りに出かけます。
歩いた一歩一歩、その軌跡に新芽が芽吹くように。

こんなふうに書いている朝、こうして言葉が流れ出るような時間、
それのできる基盤のある暮らし、まったくもって、よき日々を重ねてると思う。

珈琲豆ストアにて

翌日に訪問する恩師への挨拶に、美味しい珈琲豆を買いに寄り道した。
生まれ故郷の街の住宅街、その一角に建つ洗練された平屋の店舗。
数年前に訪れたときには、濃い色の木肌が印象的な喫茶店だった。
改装して、豆の小売を専門とすることにしたらしい。
軽食メニューにあった、ひとつひとつ種類のちがう小さなサンドイッチや、よく煮込んだカレーが懐かしい。

午後7時、とっくに日の暮れた町はずれ。
一方通行の小道に車を停めて、オレンジ色の明かりの灯る店内へと入る。
ごく低い位置に置かれたケースのなかに、暗褐色の豆たちがひしめく。
つやめいて、香り立つ数多の種子。
カウンター奥の棚には、さまざまな種類のコーヒーメーカーが並ぶ。
「どうします?」
マスターの気さくな問いかけ。
飲みやすくいちばんの売れ筋だというオリジナルブレンドと、地域の名のついたもので少々迷う。
促され、テイスティング用に設けられたカウンターの席に腰かける。
手際よく沸かした湯で、小ぶりのカップに淹れられる一杯。
きわめて細い注ぎ口の、洒落た形のポットで、少しずつ。
湯気が立つたびに、香ばしさが、天井の高い空間に広がる。
部屋中の大気が色づくように、香り立つ。
オリジナルブレンドのお伴は、ビターチョコ。
きりりとした舌触り、それでも、安らぐ。

すっきりとして、後味の雑味はなし。
幅1.5センチから2センチほどの薄くて丈夫な帯、色は薄黒から薄墨色。グラデーションあり。
帯の外がわにいくほどに色は薄くなるが、端の部分ははっきりとした濃い色だろう。
そのような味をじっくりと、とっぷりとつかるように堪能。
これはこの豆の味なのか、マスターの淹れ方がこの味を生むのか。
いずれにせよ、深く、品よく、カジュアルでありながら細部にわたって造りが丁重な、美味なる一杯だ。

「最近は、酸味の人気が戻ってきてるんですよ」

マスター談。
オリジナルブレンドは、酸味を感じさせないですねという話題から。
人気の酸味とは、ことばから連想するような酸っぱさや苦みのことではなく、りんごの後味のさわやかさのような酸味だという。
話しながらスマートに流れるようにカウンターの内側を行き来してポットや器を扱う動きから目が離せない。
店内に入るときのわくわくから、入った瞬間のほわんとした香しさ、マスターのキレのある美しい動作と珈琲にまつわる豊かな話題、
味見、豆を選ぶときの贅沢で甘みのあるつかの間の悩み、贈り物用の袋を手渡されるときのみずみずしい嬉しさ。
週末に入る直前の晩の、幸福時間のパッケージ。

一杯のコーヒーのあたたかさと、その味。
それを引き立てる、人のあたたかみ。
「珈琲豆ストア コモン」

よき店、またひとつ発見。

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